戦後、79年が経過し、戦争体験者の高齢化が進み、体験を語ることができる人がますます少なくなってきています。

 戦争の時代を生きた人々のさまざまな体験をより多くの方に伝えるため、しょうけい館では毎年、昭和館と平和祈念展示資料館とともに合同巡回展を開催しています。
 今年は、大分県の県立美術館(OPAM)において6月19日(水)から6月30日(日)の日程で開催します。




展示会詳細

会  期:令和6年6月19日(水)~6月30日(日)
会  場:大分県立美術館(OPAM) 1階展示室A
     大分県大分市寿町2番1号
入 場 料 :無料
開催時間:10:00~18:00
主  催:しょうけい館
協  力:社会福祉法人太陽の家
後  援:大分県、大分県教育委員会、大分市、大分市教育委員会、大分合同新聞社、西日本新聞社、朝日新聞大分総局、
     読売新聞西部本社、毎日新聞大分支局、NHK大分放送局、OBS大分放送、TOSテレビ大分、OAB大分朝日放送、
     大分ケーブルネットワーク株式会社、エフエム大分、J:COM大分ケーブルテレコム
同時開催:昭和館「くらしにみる昭和の時代 大分展」 / 平和祈念展示資料館「平和祈念展in大分」



展示内容

 本展では、2つの視点から戦傷病者の労苦を伝えます。
 1つ目の視点は、「パラリンピックと戦傷病者」です。日本で初めてパラリンピックが開催された1964年東京大会では、戦傷病者が競技に出場し、メダルを獲得する快挙を成し遂げました。パラリンピックの日本での開催を主導した大分県出身の医師中村裕博士は、その後の日本社会におけるパラスポーツの発展に尽力しました。1964年東京パラリンピックを中心に、戦傷病者でありながら選手としてパラリンピックに出場し、銀メダルを獲得した青野繁夫さんと、中村裕博士2人の人生を紹介します。
 2つ目の視点は、「戦傷病者を支えた義肢」です。腕や足を負傷した戦傷病者にとって義肢はなくてはならないものでした。生活や仕事面で支えた義肢(義手・義足)に焦点を当て、戦傷病者一人ひとりのパーソナルヒストリーをみつめます。

チラシのダウンロードはこちら


・1964年東京パラリンピック銀メダル(複製)

 戦傷病者が獲得した銀メダルの複製。このメダルには、STOKE MANDEVILE INTERNATIONAL GAMES という文字が刻まれています。当時はパラリンピックではなく、国際ストーク・マンデビル競技会が正式名称でした。



・カラー記録映像「PARALIMPIC TOKYO 1964」

 パラリンピックのカラー記録映像。開会式、競技・種目、会場周辺の様子がカラーで収められています。

・能動義手

 電気工事士だった戦傷病者の義手。この義手を使用することでさまざまな作業が可能になりましたが、肩や腕の力を使って義手を動かすため、身体に大きな負担がかかりました。

・義足(鉄脚)

 右脚を切断した戦傷病者が使用していた義足(鉄脚)。実家の農業を継ぎ、この義足を使って畑仕事をおこないました。



 

Related Contents

2024年