S55-1大道を歩く~障害者福祉に生きた半生~(16分50秒)

青年期に患った病により、現役兵には適さない「丙種」と判定されながらも、敗色が濃くなりつつあった1945年5月、召集を受ける。千葉の高射砲部隊に配属され、部隊の移動先であった仙台で空襲に遭い、右足を切断した。戦後は、地元の企業に復職して仕事に励みながら、地域の身体障害者福祉会の結成に尽力、その役員を歴任した。日陰者とされてきた障害者に自立を促すとともに、社会の人々の意識を変えるため、様々な活動に人生を捧げた。

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