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 2019年1月5日(土)~2019年2月17日(日)まで、1階にてミニ展示を開催しています。今回は、三菱商事の商社マンとして世界を駆け巡った田岡義計さんを紹介します。

田岡さんの生涯

 大正11年、香川県に生まれた田岡さんは、昭和16年、19歳の時に三菱商事に入社し、世界を股にかける商社マンとしての人生を歩み始めました。入社後、数ヶ月でバンコク支店の勤務となり、翌年には軍からの命令でビルマのラングーン(現ミャンマーのヤンゴン)に派遣され、現地での物資流通に従事しました。現地で20歳を迎えましたが、すでに海外の赴任であったため徴兵延期手続きを取り、軍属として戦地で活動しました。
 しかし、その生活も戦況の悪化により陰りが見え始めます。昭和19年当時のビルマは、インパール作戦の失敗で撤退が続いており、人手を補うために現地召集されました。自動車免許を取得していたため、自動車隊に編入され、トラックで撤退していた際に爆撃を受け、左足首から下を失いました。兵站病院では治療を受けましたが、戦況悪化で患者を置いたまま医師や看護師がいなくなる有様でした。そこでラングーンからの脱出を決意し、松葉杖を突きながら汽車やトラック、徒歩で移動を続け、遂にサイゴン(現ベトナムのホーチミン)に辿り着き、そこで終戦を迎えました。サイゴンでは、フランス軍の捕虜となりましたが、持参していた英和辞典を片手に通訳を務めたことで重宝されました。
 復員後は、三菱商事に復職しました。片足は失われたままであったことから、社長から義足と松葉杖が贈られ、仕事ができるようになりました。会社から義足が贈られる事例は他に確認されておらず、当館としても初めての事例です。田岡さんが、それだけ活躍を期待される人だったともいえます。
 義足を装着して歩けるようになった後は、さらに精力的に活動して、中近東、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカなど世界各国を巡り、商社マンとしての職務に人生を捧げました。残されたパスポートや国際免許証の数々は、世界を駆け巡った「隻脚商社マン」がいたことを今に伝えています。

展示資料


「三省堂ジェム英和・和英辞典」
ビルマから唯一持ち帰ったもの。フランス軍との通訳を務める際の助けとなりました。

「目録」
片足を失ったことから、会社より義足と松葉杖が贈られました。

「パスポート」
長年、世界各国を駆け巡った田岡さんの手元には、数多くのパスポートが残されました。
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2019年