1964年、東京オリンピック開催後に東京パラリンピックが開催されました。その時、選手宣誓(館だより第64号参照)を行なったのが戦傷病者の青野繁夫さん(故人)です。青野さんは、先の大戦で脊髄損傷となり車イスの生活を余儀なくされた方で、東京パラリンピックに箱根療養所から参加した唯一の戦傷病者でした。
 従来、箱根療養所から約20名の選手がパラリンピックに参加していたとされていましたが、このうち戦傷病者で参加したのは青野さんだけでした。それ以外の参加者は戦後、戦争以外で脊髄損傷になられた方々でした。
 青野さん製作の竹細工は、現在数点残されています。そのうち歴史上の人物の漢詩を引用し製作しているのが、今回紹介する資料です。

竹刻「三行書」(乃木希典「富嶽」)


 これは、青野さんが製作した竹細工に乃木希典の漢詩を刻んだものです。「富嶽」は乃木が明治天皇の崩御にともない殉死する直前に郷里山口の膨張新聞主筆である作間鴻東に送った自作の漢詩とされ、七言絶句でまとめられています。その内容は以下の通りです。


 要約すれば、富士山は日本の最高峰としてそびえ立ち、朝日の光を受けて日本全体をあまねく照らす日本こそ土地柄も住む住民も優れている、まさに神州である、と記されています。
 青野さんが残された資料の中に富士山をイラスト化したものもあります。そうした青野さん独自の富士山への思いを、箱根から見える富士山を題材にした「富嶽」を選んだのでしょうか。今となっては知る由もありませんが、「富嶽」は乃木が殉死する直前に認めたものだけに、彼独特の思いが込められています。乃木が日露戦争後、陸軍病院に収容されていた負傷兵の見舞いに何度となく訪問し、負傷兵救済事業にも積極的に関与したことも関係しているかもしれません。日本の象徴である富士山を漢詩に残した乃木の思いと、箱根療養所に静養していた青野さんの富士山に対する思いが、この竹細工に込められたものとも考えられます。

(学芸課)

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2016年