現在でも、緊急時に心強い患者搬送手段は、ヘリコプターなど航空機によるものです。
第一次世界大戦の欧州からの情報もあって、航空機の利便性に着目した寺師義信一等軍医正(大佐相当官)は、陸軍省に衛生飛行機の要望を繰り返します。熱意に負けた陸軍省は、自費で改造することを条件に、航空機を提供しました。自前の資金300円に、後藤新平が寄付した100円、奥さまが匿名で送付した300円で、ドイツから輸入したユンカースJF-6旅客機を改造します。大正14(1925)年に完成したのが我が国初の患者飛行機です。
当時としては先進的な金属製単葉機で、操縦手、副操縦手のほか、担架で1名、座席には軽症者、軍医を含め3名が搭乗できます。救急患者を所沢から立川まで20分で空輸して、その有用性を内外に知らしめました。
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