前回ご紹介した寺師軍医の患者飛行機は、平時の運用だったこともあり、活躍の機会がないまま、元の旅客機に戻されてしまいました。
再度注目を集めたのは昭和6(1931)年の満洲事変でした。国民の献金による愛国2号機として、翌年その姿を現します。
原型機はドイツのドルニエ社のメルクール旅客機でした。これにエンジンの排気熱を利用した暖房装置を備え、担架による重症患者2名、軽傷患者の座席4名、軍医、看護長の座席2名、薬室、機械室、トイレ、手洗い装置がありました。
満洲事変では400名を超える戦傷病者を空輸し、国民にとって最も知名度の高い航空機となったのです。これに触発され、国民の献納による患者飛行機は7機にものぼりました。
高空で人体に及ぼす生理作用や、機体の振動、騒音などの影響も貴重な情報となりました。
|