令和8年3月3日(火)から5月31日(日)まで、「戦傷病者と結核-軍隊での罹患から戦後の闘病生活まで-」を開催します。
展示内容
結核は、結核菌という細菌に感染することで発症する病です。「国民病」「亡国病」ともいわれた、昭和期を代表する感染症といっても過言ではありません。結核感染の広がりは国民生活の中だけでなく、軍隊でも大きな問題のひとつでした。
本展では、結核にかかった戦傷病者の人生に焦点をあて、軍隊生活の中でどのように結核を発症してしまったのか、そして戦中・戦後の闘病生活の様子と、結核という病と闘いながら過ごした人生の労苦を、戦傷病者と家族のあゆみから辿るとともに、軍隊結核に関連する資料や、結核の療養所についても紹介します。
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結核と軍隊での体験
国策として結核予防対策が掲げられている時代、徴兵検査での結核罹患者の発見、軍隊生活における結核の予防は、常に一定数の兵員を確保しなければならない軍にとって大きな課題のひとつでした。ここでは、結核について、軍隊における結核予防策、軍隊生活で結核を患った戦傷病者の労苦を紹介します。また、当時の治療法などについても解説します。

レントゲン機器
レントゲン撮影の様子。徴兵検査における結核罹患者の早期発見と、軍隊内部での集団感染を未然に防ぐための対策は、軍にとって極めて重要なことでした。

『戦争と結核』
昭和18年発行の戦争と結核について記された、およそ20センチ厚、1280ページにもなる本。軍隊での感染患者の収容体系なども知ることができます。

父親に宛てた葉書
入隊後、結核が再発して療養所で生活することになった戦傷病者が、父親に宛てたもの。療養に専念するので、心配しないで欲しい旨を記しています。

肺のレントゲン写真
海軍に志願、レイテ沖海戦では助かったものの、疲労のために結核にかかってしまった戦傷病者のレントゲン写真。結核治療で片肺を切除したことがはっきりと映っています。
戦傷病者と文学
結核を題材とした文学作品は数多くあり、その時代の実像に迫ることができます。ここでは、結核を扱った文学や、著名な俳人である石田波郷について取り上げ、波郷の肺手術で用いられた資料を展示します。

『病鴈(びょうがん)』
俳人であり、戦傷病者である石田波郷の句集。昭和18年の出征から、発病して20年3月に内地還送されるまでに詠んだ句が収められています。このほか『惜命(しゃくみょう)』なども展示します。

『とろ火』、『療養と短歌』
結核を患った元陸、海軍人による作品集。療養患者によって多くの短歌や俳句、随筆などが世に出されました。こうした作品からも、患者の心情や当時の様子などを知ることができます。
療養から社会復帰まで
戦時中から戦後にかけて、結核は空気の清浄な環境で安静に過ごし健康を取り戻していく“静養”をおこなう方法が主流でした。このほか人工気胸療術や、外科療法もおこなわれ、戦後になると化学療法が取り入れられ、結核の治療法は進歩していきました。ここでは、結核の療養所、療養方法、軍隊で結核となり入院、療養生活を送った戦傷病者の労苦を紹介します。

傷痍軍人広島療養所
終戦までに設けられた約50か所の傷痍軍人療養所うち、36か所を結核療養所が占めていました。

傷痍軍人広島療養所
新鮮な空気を吸って静養するための外気舎の様子。

東京療養所の外気舎
戦後、傷痍軍人療養所は国立療養所に転換され、引き続き結核の患者を受け入れてきました。写真は、傷痍軍人療養所時代から昭和41年まで使われた外気舎(清瀬市指定文化財)。

戦傷病者の作品
傷痍軍人青森療養所に入所した戦傷病者が描いた風景画。化学療法が登場するまで、患者は長い療養生活を送らなければなりませんでした。
戦傷病者を支えた妻
結核が治る病となってからも、地域社会の中では結核への恐怖から罹患者に対する偏見は根強く残っており、そこで生活する家族は肩身の狭い思いをせざるを得なかった現実がありました。そのような中、結核となった戦傷病者の妻たちは、夫の看病をしながら一家の働き手となって家族を養い、地域社会で暮らしてきました。ここでは、妻たちの労苦、家族の労苦を紹介します。

症状経過書
肺結核を患った戦傷病者の症状経過書。この戦傷病者の長女は、力仕事は母が全てこなしていたこと、こどもたちを進学させるために仕事と家事を一手に引き受けていたことなど、母の労苦を綴っています。
上映映像
企画展に関連する戦傷病者の証言映像を上映します。
場所:しょうけい館 2階シアター
※団体プログラム等によって、上映内容を変更・休止する場合があります。
